"インド【バラナシ】"
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特別編 『太陽と月と地球の邂逅』
インド編(このペースだといつ記述できるかはなはだ怪しいですが…
)の中から、「賞味期限」が迫っている(厳密にはもう「切れている」かも…
)、このエピソードを「特別編」として。
その時を、私はバラナシへ向かう寝台特急の車内で迎えることとなりました。
実は「第二部」出国時に、この「事実」に気付いておらず(日本の一部が対象となるのは、各種報道で知っていましたが、それがインドの一部まで及んでいるとは、そしてバラナシがそれに含まれているとは…)、という無計画極まりない中での遭遇劇となったのには、目をつぶることとして…。
…でなければ、本当はバラナシのガンジス川岸から、どこかのガートに居座ってこの奇跡を目の当たりにしていたに違いないのですが…そこまで求めるのは、やはり贅沢というものでして
西暦2009年7月22日の朝、寝台特急の車内で目覚めた時刻はインド時間の午前5時半。
車窓を眺めると、何の変哲もない、のどかなインドの朝の風景が広がっていました。

[普段通り(のはず)の爽やかな朝です]
写真では分かりづらいですが、インドの列車の窓は例外なく、全体的に黄色づいている上にところどころ汚れていて、クリアな視界が得られません。
…というわけで「インドの列車ならきっとこんなことはできるだろう」という淡い期待を抱きながら、一時停車中に「だめもと」ながら、こんなトライアルを…。
[実はいとも簡単に…]
そう、インドの列車って、
扉は手動で開く
のです。
メンテナンス、そして危機管理が行き届いた日本の鉄道事情に慣らされていると盲点になりがちですが、世界の多くの国では、乗り降りするドアは手動。
それに…
[走行中のライブな動画もバッチリ]
扉は空きっ放しでも列車は走る
のでありました。
日本なら、ホームで乗客の服を挟んだまま発車したり、走行中にドアが開いて負傷者が出る事例があれば、新聞沙汰となりますが、世界的に見れば、この反応がいささか過保護に映ります。
こういう行為は、
あくまで自己責任
として、乗客を大人扱いしているわけで…。
インドの列車には、そもそも昇降ドアの開閉を電子的に感知・制御するシステムすらありません。
ということで、今日起こるショーの正確な時刻(6時20分頃、という目安程度)が分からなかった私は、この特等席にて、片手にデジカメを携え、片手で手すりを握り締めながら、こんな車窓を押さえながら、その時を待ったのでした。
[インド農村部家庭の牧歌的なひとコマ]
朝6時15分。まだ平凡な朝が広がっています。
[太陽は燦燦と輝き…]
この一大イベントに対し、出国前に何の準備もしていなかった私。ちなみに、インドの街中で防護メガネなんて洒落たものを探してみたものの、適当なものが見つからず…。
こんな時、観測設備が充実していなかった中世を生きた、ガリレオ・ガリレイは晩年は視力が低下して失明状態だったなんていう、昔かじったトリビアが頭をよぎってしまいます。
というわけで、ここからは、じつはデジカメが何気なく大活躍していて、太陽をデジカメの液晶モニタ越しに見つめていました。
そうして「その時」に備えてカメラを構え、風景を動画で撮っていくと…。
[徐々に周囲が暗くなり…]
太陽が雲に隠れたというわけではないのに、急に夜が訪れたように暗くなっていきます。そして、心なしか、気温が下がったようにも感じました。
その奇跡は、唐突に始まりました。もう液晶モニター越しに太陽を眺める必要はありません。
朝の風景から一転、夜の帳が一瞬にして降りてきて…。そして、私は必死にデジカメを太陽に向け、解像度最大設定の下でシャッターを切り続けました。
[しかし、列車の振動と手振れのため…]
されど三脚もなく、そして心なしか興奮のあまり手が震え、なかなか決定的な瞬間を収められません。
しかし、ここで動画モードに切り替えて、その光景にレンズを向けると…。
電車の騒音にかき消されていますが、思わず「すげぇ!」と声を上げずにいられませんでした。
[この光景は、まさに奇跡としか言いようがなく…]
この動画は、今回の世界一周の旅の中、間違いなく最高の一編のひとつで、自分的に永久保存版殿堂動画入りが確定しています。
…本当にラッキーでした。
人生初の皆既日食
その光景は、ただただ神々しく、天に畏怖せざるをえない昂奮に突き動かされます。
私たちの命の源である太陽と月を舞台とした
一世一代の天体ショー
を、この
世界一周の旅程で
味わえるなんて、何とスケールが大きい旅をしているのだろうと、地球の片隅にちょっこりお邪魔させていただいている居候は、ただただ呆然とするばかりなのでありました。
その後、連続撮影モードで、なんとか世紀の一瞬を捉えようと試してみると…。
[これでもましな方な写真です]
求めれば与えられん。
電車の振動と手の震えが逆位相になった偶然の一瞬を、ある一葉が捉えてくれました。
[我ながら、素晴らしいショットです…!]
今は昔、西暦247年と248年。
天文学上、日本列島で部分日食がそれぞれ1回ずつ起きたと考えられています。
この時代は邪馬台国の治世。247年は卑弥呼がこの世を去り、その後起こった政権争いを経て後継者である壹与が即位したと推定されるのが248年です。
あるロマンチストたちが唱える可能性を紐解くと、最初の日食が卑弥呼の死と何らかの関係があり、翌年に起こった再度の日食が後継者・壹与を後押ししたと考えられる、という空想をかき立てられる説があります(井沢元彦『逆説の日本史』など)。
皆既日食を目の当たりにして、最初に脳裏に浮かんだのが、この興味深い大胆な推理でした。
それまでの私は、日食時に観測される、一瞬にして夜に包まれるような錯覚、そして当時信仰の対象であったであろう太陽に、ここまで明確な変化が観測できるとは、想像できていませんでした。
天文学が発達していなかったこの時代、日食が示唆する不吉な予感を、人々が敏感に察知したのも大いに頷けるようになったのでした。
[…祭りの後は、何事もなかったかのように]
次回、この星で皆既日食が観測されるのは、チリ南部およびアルゼンチン南部、そしてあのイースター島を含むポリネシアです。
その運命の日は2010年7月11日。
…こんな日にイースター島にいたとしたら…鳥肌モノであるのは間違いありません。
その時を、私はバラナシへ向かう寝台特急の車内で迎えることとなりました。
実は「第二部」出国時に、この「事実」に気付いておらず(日本の一部が対象となるのは、各種報道で知っていましたが、それがインドの一部まで及んでいるとは、そしてバラナシがそれに含まれているとは…)、という無計画極まりない中での遭遇劇となったのには、目をつぶることとして…。
…でなければ、本当はバラナシのガンジス川岸から、どこかのガートに居座ってこの奇跡を目の当たりにしていたに違いないのですが…そこまで求めるのは、やはり贅沢というものでして
西暦2009年7月22日の朝、寝台特急の車内で目覚めた時刻はインド時間の午前5時半。
車窓を眺めると、何の変哲もない、のどかなインドの朝の風景が広がっていました。

[普段通り(のはず)の爽やかな朝です]
写真では分かりづらいですが、インドの列車の窓は例外なく、全体的に黄色づいている上にところどころ汚れていて、クリアな視界が得られません。
…というわけで「インドの列車ならきっとこんなことはできるだろう」という淡い期待を抱きながら、一時停車中に「だめもと」ながら、こんなトライアルを…。
[実はいとも簡単に…]
そう、インドの列車って、
扉は手動で開く
のです。
メンテナンス、そして危機管理が行き届いた日本の鉄道事情に慣らされていると盲点になりがちですが、世界の多くの国では、乗り降りするドアは手動。
それに…
[走行中のライブな動画もバッチリ]
扉は空きっ放しでも列車は走る
のでありました。
日本なら、ホームで乗客の服を挟んだまま発車したり、走行中にドアが開いて負傷者が出る事例があれば、新聞沙汰となりますが、世界的に見れば、この反応がいささか過保護に映ります。
こういう行為は、
あくまで自己責任
として、乗客を大人扱いしているわけで…。
インドの列車には、そもそも昇降ドアの開閉を電子的に感知・制御するシステムすらありません。
ということで、今日起こるショーの正確な時刻(6時20分頃、という目安程度)が分からなかった私は、この特等席にて、片手にデジカメを携え、片手で手すりを握り締めながら、こんな車窓を押さえながら、その時を待ったのでした。
[インド農村部家庭の牧歌的なひとコマ]
朝6時15分。まだ平凡な朝が広がっています。
[太陽は燦燦と輝き…]
この一大イベントに対し、出国前に何の準備もしていなかった私。ちなみに、インドの街中で防護メガネなんて洒落たものを探してみたものの、適当なものが見つからず…。
こんな時、観測設備が充実していなかった中世を生きた、ガリレオ・ガリレイは晩年は視力が低下して失明状態だったなんていう、昔かじったトリビアが頭をよぎってしまいます。
というわけで、ここからは、じつはデジカメが何気なく大活躍していて、太陽をデジカメの液晶モニタ越しに見つめていました。
そうして「その時」に備えてカメラを構え、風景を動画で撮っていくと…。
[徐々に周囲が暗くなり…]
太陽が雲に隠れたというわけではないのに、急に夜が訪れたように暗くなっていきます。そして、心なしか、気温が下がったようにも感じました。
その奇跡は、唐突に始まりました。もう液晶モニター越しに太陽を眺める必要はありません。
朝の風景から一転、夜の帳が一瞬にして降りてきて…。そして、私は必死にデジカメを太陽に向け、解像度最大設定の下でシャッターを切り続けました。
[しかし、列車の振動と手振れのため…]
されど三脚もなく、そして心なしか興奮のあまり手が震え、なかなか決定的な瞬間を収められません。
しかし、ここで動画モードに切り替えて、その光景にレンズを向けると…。
電車の騒音にかき消されていますが、思わず「すげぇ!」と声を上げずにいられませんでした。
[この光景は、まさに奇跡としか言いようがなく…]
この動画は、今回の世界一周の旅の中、間違いなく最高の一編のひとつで、自分的に永久保存版殿堂動画入りが確定しています。
…本当にラッキーでした。
人生初の皆既日食
その光景は、ただただ神々しく、天に畏怖せざるをえない昂奮に突き動かされます。
私たちの命の源である太陽と月を舞台とした
一世一代の天体ショー
を、この
世界一周の旅程で
味わえるなんて、何とスケールが大きい旅をしているのだろうと、地球の片隅にちょっこりお邪魔させていただいている居候は、ただただ呆然とするばかりなのでありました。
その後、連続撮影モードで、なんとか世紀の一瞬を捉えようと試してみると…。
[これでもましな方な写真です]
求めれば与えられん。
電車の振動と手の震えが逆位相になった偶然の一瞬を、ある一葉が捉えてくれました。
[我ながら、素晴らしいショットです…!]
今は昔、西暦247年と248年。
天文学上、日本列島で部分日食がそれぞれ1回ずつ起きたと考えられています。
この時代は邪馬台国の治世。247年は卑弥呼がこの世を去り、その後起こった政権争いを経て後継者である壹与が即位したと推定されるのが248年です。
あるロマンチストたちが唱える可能性を紐解くと、最初の日食が卑弥呼の死と何らかの関係があり、翌年に起こった再度の日食が後継者・壹与を後押ししたと考えられる、という空想をかき立てられる説があります(井沢元彦『逆説の日本史』など)。
皆既日食を目の当たりにして、最初に脳裏に浮かんだのが、この興味深い大胆な推理でした。
それまでの私は、日食時に観測される、一瞬にして夜に包まれるような錯覚、そして当時信仰の対象であったであろう太陽に、ここまで明確な変化が観測できるとは、想像できていませんでした。
天文学が発達していなかったこの時代、日食が示唆する不吉な予感を、人々が敏感に察知したのも大いに頷けるようになったのでした。
[…祭りの後は、何事もなかったかのように]
次回、この星で皆既日食が観測されるのは、チリ南部およびアルゼンチン南部、そしてあのイースター島を含むポリネシアです。
その運命の日は2010年7月11日。
…こんな日にイースター島にいたとしたら…鳥肌モノであるのは間違いありません。
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