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有給休暇で地球を闊歩・ビジネスマン40日間世界一周

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簡単な生存報告と再開エントリーへのまくらエントリー

 いや~本格的にサボりました
 それも力一杯
 前回のエントリーから、9ヶ月ほど放置していましたが…私・やっぴいは
 ぬくぬくと生きております。

 去年の春頃から、物流改革系のプロジェクトを2つ担当することになり、その片方が韓国の案件だったため、30%程度の日々は韓国に滞在しておりました。
 …というのが、ブログ放置の一因だったわけですが、ではブログを更新する暇が完全になかったかといえばそうでもなく…。

 こういう趣味は習慣化しないと長続きしないわけで、一旦緊張の糸が切れてしまうと、今まではちょっとした時間に書き溜めるなどの工夫をしていたものの、そんなスキマ時間の過ごし方自体が変わってしまい、強制的なタスクでないのを言い訳に何もアクションを取らなくなって…という悪循環に苛まれておりました。

 正式な内示上では今年の4月から、実質的には5月の中旬ぐらいから別の案件に携わるようになり、今回は日本をしばらく担当するということで、これからブログを更新する外部環境が整いました。
 …ということで、ぼちぼちブログ更新を試みようと思っております。リハビリ期間中につき、更新頻度については大目に見てやっていただければ、と思います。

 そういえば、世界一周期間中にバーレーンに立ち寄って、W杯アジア最終予選を争う日本代表を応援していたんですよねー。
 それが、もう来週本戦の開幕です。光陰矢のごとし。
 でも闘莉王のオウンゴール癖は相変わらず(バーレーン戦では冷や汗かきました…)。
 はてさて、どうなることやら…。

 閑話休題。
 途中インドの皆既日食などの特別編エントリーを挟んで読みづらくなっていますが、前回までにグラナダを旅立ち、マドリードに戻る直前までお話しました。
 この後、世界一周旅程上最も不機嫌になる出来事がありまして、でもって、それを書くのもあまり気乗りしなかったこともあって、更新がズルズル遅れていたというのもあって…と、また言い訳になるので話を戻すと…。

 この出来事は宿泊にまつわる話なのですが、その前の「マクラ」をお話しておきたいと思います。
 本ブログへのコメントの中で、どうやって宿泊先を決めているのか、との質問を頂戴していましたが、その回答を込めて、そしてその失敗例を書き残すことで、将来の私、そして本ブログをご覧になる方々も、同じ轍を踏まないようにしていただければ…と。

 以前このブログでも紹介した野口悠紀雄著 『「超」旅行法』では、一章をかけて「旅の印象はホテルで決まる」と力説しています。
 若い頃、ひいては旅慣れていなかった頃は、宿では安心して寝られて、シャワーさえ浴びれればよい(あわよくば湯船所望)程度にしか考えていませんでしたが、その発想は最近随分と変わってきました。

 そのターニングポイントの一つとなったのが、オーストリア、ハルシュタットでの滞在です。
 この町は世界遺産にも選ばれている美しい湖畔の町です。名前に聞き覚えがなくても、よく旅行ガイドやパンフレットに使われているこの景色はご覧になった方も多いのではないでしょうか?

[素人が適当にシャッターを押しても絵葉書のような一葉が]

 鏡のような湖の美しい青、その湖に寄り添うように切り立つ山々の緑が織りなす風景が印象的です。加えて、古くは紀元前から使用されていたという塩抗では、観光客に意外なエンターテイメントが提供されたりと、予想を上回る満足度の高い場所となったのですが、それ以上にこの町の滞在を良い思い出としてくれたのが、こちら。

[部屋数わずか5室の小さなペンション]

 ペンション・ハルベルク という小さな宿です。
 この宿はご夫婦で経営されていて、1階部分はアンティークを扱うお店となっています。それだけあって、部屋の内装は温かみのある家具や品々で統一されていました。

[日差しが柔らかく感じます]


[山側を眺める窓はこんな感じ]

 …そして窓からの湖の眺めは…

[窓を全開にしたとき、何故か笑いがこみ上げてきました]

 と、宿として抜群の「箱」を有しているのはこれらの写真で十分にご理解いただけるかと。

[廊下にセルフリフレッシュコーナーも完備]


[バイキング形式ではないものの、素朴な朝食も癒されます]

 …とはいえ、これだけでは私の印象に強く残るような宿にはなりません。
 この宿が私にとって特別ならしめているのは、前述した経営するご夫婦の人柄だったのです。

[鼻歌混じりに朝食準備中の後ろ姿を]

 この宿の予約は電子メールで行ったのですが、その時からの丁寧なやりとり(オーストリアはドイツ語圏ですが、奥さんは英語も仏語もOKです)にまず安心。
 宿に着いてからは、部屋の鍵を受け取る際に、部屋の設備についてくまなくオリエンテーションを受け、塩抗観光や夕食のオススメなど懇切なアドバイスをいただいたことで、ハルシュタットの滞在全般が快適なものとなったのでした。

 実際のところ、宿のリピート率を左右する大きな要因は、宿のスタッフのホスピタリティによると思います。
 例え多少部屋が狭くても、シャワーが水しか出なくても、朝食の品数が淡白でも、それ自体が宿の印象を大きく損なうことはあまりありません。そうした設備の充実度は、一般的に費用対効果に反映されていて、ある程度の心の準備ができているからだ、とも言えますが。

 しかし、スタッフのホスピタリティは、単純に一泊あたりの価格だけでは判断できません。
 私が海外で宿を予約する際、ハズレを引かないための方法論が最近確立されつつありますが、それについて触れながら、私がマドリードで犯したミスについてもお話していきたいと思います。

特別編 『太陽と月と地球の邂逅』

 インド編(このペースだといつ記述できるかはなはだ怪しいですが…:ase:)の中から、「賞味期限」が迫っている(厳密にはもう「切れている」かも…:ase:)、このエピソードを「特別編」として。

 その時を、私はバラナシへ向かう寝台特急の車内で迎えることとなりました。

 実は「第二部」出国時に、この「事実」に気付いておらず(日本の一部が対象となるのは、各種報道で知っていましたが、それがインドの一部まで及んでいるとは、そしてバラナシがそれに含まれているとは…)、という無計画極まりない中での遭遇劇となったのには、目をつぶることとして…。
 …でなければ、本当はバラナシのガンジス川岸から、どこかのガートに居座ってこの奇跡を目の当たりにしていたに違いないのですが…そこまで求めるのは、やはり贅沢というものでして:ase:

 西暦2009年7月22日の朝、寝台特急の車内で目覚めた時刻はインド時間の午前5時半。
 車窓を眺めると、何の変哲もない、のどかなインドの朝の風景が広がっていました。

[普段通り(のはず)の爽やかな朝です]

 写真では分かりづらいですが、インドの列車の窓は例外なく、全体的に黄色づいている上にところどころ汚れていて、クリアな視界が得られません。

 …というわけで「インドの列車ならきっとこんなことはできるだろう」という淡い期待を抱きながら、一時停車中に「だめもと」ながら、こんなトライアルを…。

[実はいとも簡単に…]

 そう、インドの列車って、
 扉は手動で開く
 のです。

 メンテナンス、そして危機管理が行き届いた日本の鉄道事情に慣らされていると盲点になりがちですが、世界の多くの国では、乗り降りするドアは手動。
 それに…

[走行中のライブな動画もバッチリ]

 扉は空きっ放しでも列車は走る
 のでありました。

 日本なら、ホームで乗客の服を挟んだまま発車したり、走行中にドアが開いて負傷者が出る事例があれば、新聞沙汰となりますが、世界的に見れば、この反応がいささか過保護に映ります。

 こういう行為は、
 あくまで自己責任
 として、乗客を大人扱いしているわけで…。
 インドの列車には、そもそも昇降ドアの開閉を電子的に感知・制御するシステムすらありません。

 ということで、今日起こるショーの正確な時刻(6時20分頃、という目安程度)が分からなかった私は、この特等席にて、片手にデジカメを携え、片手で手すりを握り締めながら、こんな車窓を押さえながら、その時を待ったのでした。

[インド農村部家庭の牧歌的なひとコマ]

 朝6時15分。まだ平凡な朝が広がっています。

[太陽は燦燦と輝き…]

 この一大イベントに対し、出国前に何の準備もしていなかった私。ちなみに、インドの街中で防護メガネなんて洒落たものを探してみたものの、適当なものが見つからず…。

 こんな時、観測設備が充実していなかった中世を生きた、ガリレオ・ガリレイは晩年は視力が低下して失明状態だったなんていう、昔かじったトリビアが頭をよぎってしまいます。

 というわけで、ここからは、じつはデジカメが何気なく大活躍していて、太陽をデジカメの液晶モニタ越しに見つめていました。

 そうして「その時」に備えてカメラを構え、風景を動画で撮っていくと…。

[徐々に周囲が暗くなり…]

 太陽が雲に隠れたというわけではないのに、急に夜が訪れたように暗くなっていきます。そして、心なしか、気温が下がったようにも感じました。

 その奇跡は、唐突に始まりました。もう液晶モニター越しに太陽を眺める必要はありません。
 朝の風景から一転、夜の帳が一瞬にして降りてきて…。そして、私は必死にデジカメを太陽に向け、解像度最大設定の下でシャッターを切り続けました。

[しかし、列車の振動と手振れのため…]

 されど三脚もなく、そして心なしか興奮のあまり手が震え、なかなか決定的な瞬間を収められません。

 しかし、ここで動画モードに切り替えて、その光景にレンズを向けると…。

 電車の騒音にかき消されていますが、思わず「すげぇ!」と声を上げずにいられませんでした。

[この光景は、まさに奇跡としか言いようがなく…]

 この動画は、今回の世界一周の旅の中、間違いなく最高の一編のひとつで、自分的に永久保存版殿堂動画入りが確定しています。

 …本当にラッキーでした。
 人生初の皆既日食
 その光景は、ただただ神々しく、天に畏怖せざるをえない昂奮に突き動かされます。

 私たちの命の源である太陽と月を舞台とした
 一世一代の天体ショー
 を、この
 世界一周の旅程で
 味わえるなんて、何とスケールが大きい旅をしているのだろうと、地球の片隅にちょっこりお邪魔させていただいている居候は、ただただ呆然とするばかりなのでありました。

 その後、連続撮影モードで、なんとか世紀の一瞬を捉えようと試してみると…。

[これでもましな方な写真です]

 求めれば与えられん。
 電車の振動と手の震えが逆位相になった偶然の一瞬を、ある一葉が捉えてくれました。

[我ながら、素晴らしいショットです…!]

 今は昔、西暦247年と248年。
 天文学上、日本列島で部分日食がそれぞれ1回ずつ起きたと考えられています。
 この時代は邪馬台国の治世。247年は卑弥呼がこの世を去り、その後起こった政権争いを経て後継者である壹与が即位したと推定されるのが248年です。

 あるロマンチストたちが唱える可能性を紐解くと、最初の日食が卑弥呼の死と何らかの関係があり、翌年に起こった再度の日食が後継者・壹与を後押ししたと考えられる、という空想をかき立てられる説があります(井沢元彦『逆説の日本史』など)。

 皆既日食を目の当たりにして、最初に脳裏に浮かんだのが、この興味深い大胆な推理でした。
 それまでの私は、日食時に観測される、一瞬にして夜に包まれるような錯覚、そして当時信仰の対象であったであろう太陽に、ここまで明確な変化が観測できるとは、想像できていませんでした。

 天文学が発達していなかったこの時代、日食が示唆する不吉な予感を、人々が敏感に察知したのも大いに頷けるようになったのでした。

[…祭りの後は、何事もなかったかのように]

 次回、この星で皆既日食が観測されるのは、チリ南部およびアルゼンチン南部、そしてあのイースター島を含むポリネシアです。

 その運命の日は2010年7月11日
 …こんな日にイースター島にいたとしたら…鳥肌モノであるのは間違いありません。

世界一周『第二部』旅程表

 …長らく更新を停滞させてしまい、恐縮です。ここで僭越ながら…。

 私・やっぴいは、2009年7月28日(日本時間)をもって
 世界一周の旅を完了して参りました

 …えー、何を申し上げているかと言いますと、世界一周『第二部』にこっそり旅立っておりまして、先日無事に帰国。世界一周の全旅程を完了させたのでございます。

 これまでは世界一周周遊券の旅程を途中まで消化して一時帰国していた、「なんちゃって世界一周トラベラー」だったのが、これにてようやく免許皆伝(?)。晴れて「世界一周経験者」と名乗れるようになりました。
 …とはいえ、世界一周なんて、今日び、時間と金さえあればできる娯楽に過ぎないわけでして、そんな肩書きをブログのプロフィールに書いているトラベラーを見ると、ほほえましい心境となるわけです。
 …おっと、毒を吐くのはこのぐらいにして。

 世界一周『第一部』旅程表等のエントリーをご覧いただけるように、北米・南米・中東を含むヨーロッパ各大陸を廻った後、香港でストップオーバー扱いとして、別手配(マイルによる特典航空券)で帰国しておりました。

 で、『第二部』を、こんな感じで廻ってきたのでした。
便名出発・到着地出発時刻飛行時間
NH175関空7/16(木)10:55発350
香港7/16(木)13:45着
CX753香港7/16(木)22:55発540
デリー7/17(金)02:05着
S2 0912コルカタ7/26(日)20:45発220
デリー7/26(日)23:05着
CX708デリー7/27(月)03:30発355
バンコク7/27(月)08:85着
JL727バンコク7/27(月)23:55発535
関空7/28(火)07:30着
※ここで赤字のフライトは、格安航空券による個人手配緑色のフライトは、世界一周を一旦中断するための特典航空券手配によるフライトです(「ビジネスマンの世界一周周遊券活用法(3)」参照)。

 表中の飛行時間は「時間」と「分」を表します。このうちオーバーナイトフライトの飛行時間を青字で…性懲りもなく、『第二部』でも機内泊が3回ありました。搭乗クラスの決定プロセス(3)で述べた、フライトを「移動するホテルと考える」ポリシーにより、ビジネスクラスの座席であることもありますが、7/28(火)は関空に降り立った後、そのままオフィスに直行して仕事に向かうプランにしては、その前々日・前日を機内泊としているあたり、いつまで自分が若いと勘違いしているのか、と御笑覧いただければ。

 北米・南米・ヨーロッパ大陸と回った世界一周『第一部』に対し、『第二部』は必然的に残った最後のアジア大陸を廻ることとなりますが、その中でインドにフォーカスを充てた日程としました。

 というのも、
:pen3: ワンワールド世界一周周遊券なら飛行距離が遠くなっても料金は一定
 →大陸制のため…ってことは、アジアの中でも距離が遠いインドはリーズナブル:E715:
:pen3: 今までインドに行ったことがなかった
 というのがその理由です。

 フライトを手配した時点では、デリーIn / Outだけ決めて、陸路でコルカタ(カルカッタ)まで数日間かけて移動し、ここからデリーに飛んで、デリーOutの便と接続しようとだけ決めました。
 『第二部』との違いとは、この間の日程をどう旅するかは現地での思いつきで決めるということでした。インドという国は、そうした自由度を与えてくれる土壌が育まれているわけですが、それについてはまたおいおい…。

 さて、私の世界一周『第一部』が21日間だったのに対し、それほどの休暇が見込めなかった『第二部』は12日間となりました。

 …と、ここであることに気がつきます。そう、このブログタイトルとの齟齬です。

 このブログを開始した時、『第二部』でもそこそこの休みは取れるだろうと高をくくって、そしてジュール・ヴェルヌの名作『八十日間世界一周』の半分ぐらい、てな勢い付きのオマージュで名づけた『ビジネスマン40日間世界一周』というタイトル。しかし、これでは7日間足りません

 うーん、これでは羊頭狗肉そのものでして、今更タイトルを変えるのは、サイトを提供していただいている世界一周堂さんに申し訳が立たない、と真面目な私は考えました。

 実は、『第一部』と『第二部』の間に、主にシンガポール・韓国へと海外出張に出かける機会がありまして、その前後の週末にちょこまかと旅をしていたのでありました。

 特に、以下の日程は「観光」と呼べるものでして…。
:memo: '08 11/22~24 シェムリアップ(カンボジア)
:memo: '09 1/10~11 ホーチミンシティー(ヴェトナム)
:memo: '09 2/21・5/24 ソウル(韓国)


 以上の7日間を加えれば、これで40日:ase:

 ここまでを、今後のブログ執筆の対象にしたいと思います。
 …ブログスペースを提供していただきながら、この7日間は、全く世界一周堂さんのサポートを受けていない日程となりますが、その点はすんまそん、ということで。

ブログ村をご覧の皆様、お別れの時がやってまいりました(1)

 …とここまでグラナダまでの旅路を長々とお話してきましたが、前述したように、ここで本ブログの更新ポリシーを変更したいと思います。

 この後、マドリードで一泊し(しかし、この宿については痛烈な批判をしなければなりません。そして某アップルワールドというサイトについても考察を…。ところで、このサイト、旅ブログを綴るブロガーについて、かなり安易に考えている節があり、そして驚くまでに見事な失敗企画を立てていたりするのを見かけたので、若干の世直しになるか、と苦言を呈する必要もありそうです)、サッカー日本代表、2010年W杯最終予選の緒戦を観戦するため、ロンドン経由でバーレーンに向かったのでした(…そのエントリーがこちらです。バーレーン編は、全旅程の中で一番最初に執筆しました)。

 バーレーンで弾丸観戦を果たし、急遽ロンドン帰りを果たした後、イタリアに飛び、ヴェネティア・フィレンツェ・ミラノを回って、私の旅程「第一部」は完結することとなります。

 この「第一部」後半は、前半の旅と大きく異なる点があります。それは…
 旅仲間が合流
 というポイントでして、前半のような無謀な計画の下での行動が見られなくなります。

 そして、その旅仲間というのは、私よりも…
 10歳年下、現役女子大生
 というのが、この一連のブログをご覧になっていた皆様にとっては、衝撃の事実と思われます。

 なんで、そんなアホ社会人と女子大生が一緒にヨーロッパを旅行できるんだ、と妬みの声(もしかしたら、やっぴいファンというレアな女性の悲鳴も…期待しつつ)、が皆さんのスクリーン越しに聞こえてきそうな感じもいたします。

 が、世の中それほど甘くはありません

 以下のカットはロンドン・ヒースロー空港で合流した光景です。

[ヒースロー空港で合流…一人旅の終了です]

 いやー、この女子大生が、
 私から見て、二親等でなければ
 もうちょっと心ときめく旅になったのにな、と思う次第です。

 …はい、合流したのは愚妹…もとい、妹君でございました。

 というわけで、これからの旅は、自分の興味の沸くところがあれば、そこにじっくり固執して…という旅ではなく、むしろゆったりとヨーロッパの観光名所を物見遊山に巡る旅、となりました。

 そして、この彼女は旅先で様々なハプニングに巻き込まれ、少しは成長を遂げていくのですが…まあ、どこまでブログで公開して書くかは、おいおい考えていきたいと思います。

 さて、本エントリーのタイトルに戻って…。
 本サイトにお訪ねの中で、お気付きになられている方もいらっしゃるかと思いますが、先週末からサイト上部に設置させていただいた「世界一周」というブログランキングサイトのリンクを撤去させていただきました。このブログランキングサイトの順位は、直近一週間の「世界一周」アイコンのクリック数で決定するので、もう数日のうちに、本サイトはランキング上位圏外から外れることになります(厳密には、6/5をもって、ランキングサイトから退会する予定です)。

 元々、このブログは、グラナダの後に移動した、前述のマドリードのホテルで産声を上げました。

 …その最初のエントリーがこちらです。日付は9/5。まさに、翌日のバーレーン戦(現地時間 9/6)に飛び立つ前日のことでした…というわけで、この場面で、私の視点から見ればブログの記述時刻と記述内容がメビウスの輪のようにリンクするわけです。

 その後、本格的な執筆は帰国後の9月下旬から。
 最初は、世界一周堂さんのサイトの片隅で、ひっそりとただ自己満足のために執筆を続けてきました。

 この最初のエントリーで、私はこう綴りました。
 大変恐縮ですが、究極的にはこのブログで想定している唯一の読者は数年後の私自身です。将来の自分への備忘録とでもいいましょうか。ただ、今回の経験を公開することで、同じように世界一周に旅立とうとされる方の参考になるのではないかと思い、ブログをオープンさせていただこうと思い立ちました。

 この将来の自分に向けての旅の記録、これを皆さんのお力を借りながら紡いでいく、これがブログを公開する目的だったのです。

 …ところが(ここから先、特定のブロガーの個人攻撃とならないように、丁寧に書き進めて行きたいのですが)、ふとした際に、他の方の世界一周関連のブログを見ていると、「違和感」を覚えるサイトを見かけるようになりました。

 それは、自分の世界一周に関する本の出版が決まっている、というサイトを含めて、どうもブログという媒体を通じて世界一周の旅を表現することそのものが目的となっているブログでした(注:特定のブログを指しているわけではありません)。

 …この一節は、思い切って書きますが、それらのブログのほとんどは私には面白くない、と映ったのでした。もっと突き詰めていえば、そんな動機で文筆業に就いていない人物が紡いだテキストに、本当に商業価値があるのだろうか?と。

 旅をする人が、どのようなブログを書かれるのも自由ですし、私の趣向と合わないと思えば、それらを今後閲覧しなければ良いだけのことです。というわけで、それ以外のサイトを主に拝見させていただいていたのですが…ふと、ここでちょっとした疑問が沸いてきたのです。
 本ブログは客観的に見て面白いのだろうか
 ひいては
 本ブログはどの程度の評価を受けるのだろうか
 と。

 こうしたわけで、2008年10月中旬過ぎ、ブログ執筆開始から一月ほど経ってから、ブログランキングに参加したのでした。

 実は、このふとした疑問が、ブログランキングへの参加、という当初は想定していなかったアクションへと繋がったのでした。

 ここで私が触れた「違和感」については、私が世界一周のルートにマチュピチュを含め、そして元々ブログを綴ろうと思った「反面教師」となった著書があったことに、あえて触れたいと思います(…一方的な批判とならないように建設的に記述しようと自戒しながら)。

 次のエントリーが、ブログ村さんにお世話になっている間の、最後のエントリーになると思います。
 もし、本ブログがお気に召された方は、本サイトのトップページあるいは世界一周堂さんのサイトをブックマークしていただき、『セカイチブログ』にアクセスください。

 …ブログ村から失礼しても、このブログの更新はまだ続けていく予定ですので。

宮殿の魅力を余すことなく満喫してグラナダを飛び立つ

 アルハンブラ宮殿は、ただそこにいるだけで1日を優に過ごせる魅力的な場所です。
 スケジュールに追われるがままに、見所を次へ次へと案内され、気になった所に立ち止まれないガイドツアーではなく、ぜひ個人手配で訪れていただきたいと思います。

 その際の強い味方が、オーディオガイドです。ただ残念なことに、2008年9月現在、対応言語に日本語は含まれていませんでした。
 英語版を借りて回ったものの、やや発音に不明瞭なところがあり(訳:なんちゃって外資系社員のヒアリング能力が至らないために)、若干分かりにくいところがあったのですが、それでも<歩き方>のように要点のみを抑えたガイドブックを片手に回るよりは理解は深まると思うわけで、ご参考まで。

[私が借りたのは6ユーロのフルバージョン]

 このオーディオガイドについては<歩き方>に掲載がないので追記します。
 アルハンブラの入場券で入れるエリア(ナスル朝宮殿、ヘネラリーフェ、アルカサバ)の解説をカバーしたバージョンは4ユーロ、そしてカルロス5世宮殿での展示に関するガイドは3ユーロで借りられます。
 この両方を含んだ「フルバージョン」の価格が6ユーロというわけです。

[カルロス5世宮殿はナスル朝宮殿の真横に鎮座しています]

 カルロス5世宮殿は、レコンキスタ後、スペイン王国時代に建設された宮殿です。

[眼前にルネッサンス様式の空間が広がります]

 散々イスラム美術の粋を見せ付けられる場所に、こうした異質な世界が広がるコントラストが印象的です。

 なお、私が訪れた際は、2階部分の美術館で、ピカソが残した鉛筆によるデッサンなども展示されていました…が、前日にマドリードにて三大美術館巡りを強引にこなした旅行者の視点から見れば、展示内容が若干マニアックである感は否めませんでした。

[展示内容は撮影不可につき、残念]

 宮殿内には見所が豊富にあるとはいえ、入場時刻制限の厳しいナスル朝宮殿観光のプランが最重要課題となるために、意外と観光順路の調整が難しかったりします。

 そして夏場に観光すると、アンダルシアの厳しい太陽がじりじりと照りつけ、徐々に体力を奪っていきます。

 そんなときは、「ブドウ酒の門」の前にある自動販売機で水分を補給するのも一案です。

[海外で飲み物の自販機は意外と少ないので印象的でした]

 なお、ペットボトル1本1.2ユーロですが、きちんとお釣りも出ました(海外では、小銭のお釣りが出ない自動販売機が結構まかり通っています…日本人の感覚ではありえないのですが)。

 そして、こんなものも…

[ヨーロッパに残るイスラム世界にアメリカ資本の中華文化が?]

 よく考えたら、これは北京オリンピック(私が訪問したときはもう閉幕していましたが)のキャンペーン缶と思われるのですが、ロケーションが生んだ奇跡的なフュージョンを、日本男児がお届けいたしました。

 が、個人的なおすすめは、敷地内にあるホテル・アメリカです。
 ここは、昼間はカフェとなっていて、優雅な中庭でコーヒーを嗜むことができます。

[同時に宿泊客だった私は"Welcome back to your home!"と迎えられ]

 ただし、無線LANが提供されている場所でもあるので、アンティークなインテリアが美しいロビーで、何気に私はメールチェックを繰り広げていたのですが。

[一杯1.7ユーロのコーヒーを片手に]


[即席ながら、超優雅なネットカフェ空間を演出]

 …と、休憩の時間も、ゆったりとアルハンブラの懐に抱かれていたのでした。

 しかし、時間は無常にも過ぎ去り、フライトの時間が迫ってきました。
 宮殿のライトアップも一見の価値あり、とのコメントをブログにいただいたのですが、残念ながら、まだ日が高いうちに宿を発たなければいけませんでした。

[緯度が高いので、夏の日は長く感じます]

 アルハンブラは、ナスル朝宮殿を中心とした優美な建築が中心に取り上げられます。
 しかし、敷地内を歩いていると、かつてそこにも栄光を謳歌した舞台となったであろう、数々の痕跡が残されているのも印象的です。

[スペイン王国が斜陽となった18世紀に宮殿は荒れ果てました]

 アルハンブラの美しさを説くために「滅びの美学」という表現がよく持ち出されます。

 この場所は、イスラムの民がヨーロッパに残した栄光の最後の証。
 レコンキスタに屈した最後の王アブディルは、この宮殿との惜別の際、涙を流してその日々を偲んだと伝えられています。

 宮殿には敵の侵入を想定し、要塞機能を帯びたエリア(アルカサバ)もあったわけですが、結局はこれが機能することはありませんでした。
 イベリア半島を放棄して、アフリカ大陸に帰還することを優先した政治判断のため、宮殿は無血開城に至り、後世にもその美しさが残されることとなったのでした。

 そんな背景に思いを馳せながら、幸運にも宮殿内に宿泊できたこともあり、敷地内でその空気にゆったりと浸れた至福の一日となったのでした。

[帰りは宿に手配していただき、メータータクシーで空港へ]


[空港で拾ったタクシーに比べ、3割ほど安い料金ですみました]

 南米からの帰路を設定する際に、アルハンブラ宮殿のためにわざわざグラナダを組み込んだ日程に、改めて満足しながら…

[マドリードに戻り、翌日にロンドン経由でバーレーンへ]


[地方空港のため、飛行機までは歩いて向かいます]

 フライトの窓から眺める夕日を見つめて、改めてアンダルシアの美しさにため息をついたのでした。

[グラナダ編のご愛読ありがとうございました]

 …さて、長きに渡ってお届けしてきた本ブログですが、更新について区切りをつける時がやってまいりました。
 次のエントリーでその件に触れさせていただきます。
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