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"キューバ【その他】"

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シエラマエストラ4

シエラマエストラを下り、リオとまたサンティアゴデキューバで会う約束をして別れ、麓の宿にチェックインして金を渡した時、それは発覚した。



あったはずの現金とトラベラーズチェックの数が減っている!!


え?


え??


え~~~??


まさか?


やられたのか!?



よくよく調べてみると、あったはずの100US$と100CUCとトラベラーズチェック1450US$分(総額約16万円)が、姿を消していた。。。


え、いったい誰が!?


いつ!?


というか、現金を入れていたバッグには3桁の番号式の錠が付いていて、僕以外その番号を知らないはずだ。


混乱してきた…


誰だ…


誰だ!?


ん?


そういえば昨日の夜、僕が起きた時にリオはなぜ起きていたんだ?


しかも、僕は彼の前でしかその錠を開けていない。もちろん番号は見られないようにしながらだけど。


あれ?まさか、リオ、お前なのか?


考えれば考えるほど、リオがやったんじゃないかという疑惑が強くなってきた。


いや、


でも、あいつはそんな事するような奴じゃない。


僕にお金をせびったことは1度もないし、むしろ節約するいろいろな方法や店を教えてくれた。


しかし、どう考えても、あいつしかいない。


他の人?


思いつかない。


やはり…


そんな事を小一時間、宿でうだうだ考えているうちに、同部屋に昨夜山小屋で一緒だったイギリス人が入ってきて、「今日の夜ここの宿に泊まりたいんだけど、部屋がないらしいんだ。俺床で寝るから部屋をシェアしてくれないか?」と言ってきた。


もちろん了解したのだが、そんな事より盗難の事ばかり頭に浮かんで、今からどうしようかとそればっかり考えてしまう。


あ~どうしようあ~どうしよう



そこでそのイギリス人に思わず、「昨日お金盗られちゃって、どうすればいいのか困ってるんだよね」と言ってしまった。


これが地獄に仏、救う神あれば拾う神あり、人生楽ありゃ苦もあるさだった。


スペイン語ができる彼は血相を変えて、それを国立公園のガイドに伝え、明日の朝、一緒に警察に来てくれる事になった。


ありがたし!!





翌朝、バヤモという街の警察署に着き、すぐさま事情を話すと、部屋に5~10人の警察官が集まって、通訳のイギリス人を通して、僕にいろいろな質問をする。

いつ?どこで?…

なんだか、事件を楽しんでいるようだった。


それもそのはず、どうやらこの街で事件が起こるのはきわめて珍しい事で、その為たくさんの警察が興奮していたようだ。



取り調べのほぼ中盤でリオについての質問があったのだが、そこで、信じられない事が発覚した。


通常、シエラに登る時には身分証明書を提示しなければならない。


僕は当然パスポート、リオはキューバの国民カードを提示していたのだが、キューバではその国民カードでその人がどんな人なのか、全てがわかる。




その身分証明書をコンピューターで検索してみたところ、


なんと、




彼の名前はリオではないという事がわかった。



年齢は25歳で(彼は30歳だと僕に言っていた)



ハバナで、オペラ歌手と病院の仕事をを掛け持ちしていると言っていたが、



実は彼は無職



実際の住所はサンティアゴキューバ



19歳から24歳までの間、4年間刑務所にいた事



俺は女好きだ!と言っていたのだが、



実はゲイである事



が判明した。




それがわかるまでは、警察でいろいろ聞かれている間も、リオがやった確率は五分五分だと思っていたが、それを聞いた瞬間、疑惑は確信へと変わり、僕の中にあったリオに対する信頼と友情は音を立てるように、もろくも崩れた。


裏切られた事がわかった時の空虚感。


全てが繋がった。


繋がってしまった。


彼が今まで優しく接してくれたのは、僕との友情ではなく、僕の持っている金が全てだったのだ。


今頃、にやにやしながら、街中でプーマやナイキの服を買いあさっているに違いない。


くそったれが!!


幸い、トラベラーズチェックはキューバ国内では使えないし、再発行もしてもらえるのでいい。


2万円払って人生勉強させてもらったと割り切って、前向きに考えるしかない。


前向きに、そう前向きに…


警察から帰った後一日中、そう自分にずっと言い聞かせていたのだが、この夜は、街角でチーノチーノと言われる度に「チーノじゃねぇ!!」とキレ、バヤモの安酒場でダイキリやモヒートを「メニューのここからここまで」注文をしてやけ酒を飲み、ふらふらになって宿に帰る程の苛立ちよう。


前向きにというよりむしろ、かなりいっていた。


しかしまあ、結果的に考えるとこの事件で、現地人との距離の難しさと、自分の警戒心の弱さが、最小限の被害で再確認できたと思う。


この経験を無駄にしないように、この先まだまだ続く旅に生かしていかなければならない。


とは言いつつ、また騙されるかもしれないけどね(笑)


それでは、また!


シエラマエストラ3

登頂後から約2時間。

やっとの事で、今日泊まる山小屋に着いた。

山小屋

山小屋に泊まる事なんて考えてみれば人生初だ。

かなりの疲れが溜まり、体も冷え切っていたので、とりあえず飯を食い、

山小屋の飯

野球中継を見て、

キューバはやっぱり野球

持って来たラムを飲み、早めに寝ることにした。

今日寝るロッジ


ちなみに、ここは8人位が入るドミトリーなので、僕は二段ベッドの上に、リオは二段ベッドの下に寝ることになった。

その他、だいたい旅行で山に登るのは欧米人が多い(特にドイツ人はストイック系な事が超好きな気がする)ので、ドイツ人やイギリス人のおっちゃんが部屋にはたくさん。


それから数時間経った夜中、自分では珍しく目が覚めた。


思えば、これは虫の知らせというものだったのかもしれない。


そんな事はさておき、トイレと満点の星空を堪能した後、ベッドに戻ると、リオがなぜか起きていて、「何してたんだ?」と聞いてきた。


「ただトイレに行ってたんだ」と答え、また寝る。


彼がなぜそんな時間に起きてたのか、その時は少しも不思議に思わなかった。


つづく

シエラマエストラにて2

起床は6時。起きると、眼前には広い海があった。

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後ろにはシエラマエストラ。

そうだ、昨日の夜は結局山小屋には泊まれず、屋根があるだけのロッジに泊まった。こんな所で寝るのは久しぶりだ。

それより早く山登りを開始しないと、次の山小屋に着く前に暗くなってしまう。


ということで、さっさと軽い朝食を済ませ、ガイドとリオと共に、シエラに登り始める事にした。

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荷物を背負い、一歩一歩、歩を進める。

きつい。

っていうか荷物重い。(15キロ→自殺行為)

しかも、斜面はかなり鋭角で、荒れた道が続く。

こんな山を登るのは初めてだ。


2時間もすると、日頃の運動不足がたたったのか、足が上がらなくなってきた。

休憩が10分に1回という超スローペース。

ガイドさんとリオは涼しげな顔をしている。

情けない話だ。

しかし、苦しい。

約50年前、ゲリラの気持ちはこんな感じだったのか?

しかも彼らは、いつ来るともわからない敵の影を感じながら武器を持って移動した。

生半可の精神力、体力では生き残れなかっただろう。


そんなことを考えながらひたすら登って行くと、山小屋が見えた。

ここでちょっと休憩。

山小屋のおっちゃんが入れてくれた激甘キューバコーヒーが体に染みる。

炭火

まあそんなこんなで、ここでガイドと離れた後30分後、僕達はトゥルキーノの山頂に着いた。

結構高い

残念ながら、山頂には霧が掛かっていて、景色は全く見えなかったが、革命の父、ホセマルティの銅像が僕たちを迎えてくれた。

ホセマルティと共に

う~ん、全く頂上に着いたという実感がない。

とりあえず、タバコを吸っていたら、急に雨が降ってきた。


つづく


シエラマエストラにて

シエラマエストラ山脈。

標高約2000m、キューバで最も高いトゥルキーノ山を中心とするこの山脈は、キューバの東(サンティアゴデキューバの近く)にあり、キューバ革命に重大な意味を持つ山脈として有名だ。


それはなぜか?


1956年、グランマ号に乗り込んだフィデルカストロ、チェゲバラを含んだ82名の革命家達は、メキシコからキューバに上陸後、逃げるようにシエラマエストラ山脈に立てこもり、ゲリラ戦を展開。

その後、ハバナへと進軍し、キューバ革命を成し遂げる事ができたのは、このシエラマエストラ山脈での勝利&2ヶ月以上の戦闘訓練のおかげでもあったと言われているとかいないとか。

とにもかくにも凄い場所という事だ。


まあ、そんな歴史的な事はさておき、そのシエラマエストラ山脈(略称シエラ)に、キューバ人の友人リオの「俺はハバナに帰る前にシエラに登ろうかと思ってるんだけど、一緒に登らないか?」という誘いを受け、これはチャンスとばかり、登ることになった。


今考えると、この登山が良くも悪くも、僕のキューバでの最大の思い出になったのだが、この時はそんなこと知る由もない。


サンティアゴデキューバから約10時間、ぼろぼろのトラックとローカルバスを乗り継ぎ、

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ラスクレバスという所に到着。

そこで一泊することになった。

キューバで出会った男、リオ。

サンティアゴキューバの道端で、いつものようにふらふらと歩き、宿を探していると(というか、泊まっている宿の位置がわからなくなって迷っていた。)、20代くらいのキューバ人男性が流暢な英語で声を掛けてきた。


最初は、「何か売りつけてくる怪しい奴かな?」と思ったが、話してみると結構いい奴っぽくて、彼がハバナでオペラ歌手と病院の手伝いを掛け持ちして働いている事、年齢は30歳、今は仕事の休暇のため、故郷であるサンティアゴキューバに戻ってきている事がわかった。


かれこれ20分ほど路上でたわいもない話をしている内、彼は、
「外国から来る観光客って、いろんな博物館とか遺跡とかしか行かないけど、それはホントのキューバを見たとは言えないと思う。そんな奴は、キューバに行っただけなのさ。動物園に行って、檻の中を見ているようなもんだ。もしお前が、本当のキューバが知りたいんなら、俺が今夜、ローカルのダンスパーティーに連れて行ってやるよ。しかもみんな金がないから、ただだよ」

と言い出した。


うーん、行こうか、行くまいか…


宿に戻り数分、ちょっと迷ったが、最近地元の人と触れ合うような冒険をあまりしていなかったし、特に見たい場所もなく退屈だったので思い切って行くことにした。


集合は午後8時、宿から近くの公園。

数分遅れて公園に着くと、遠くから「KEN!!」と呼ぶ声が。

リオだ。

彼はプーマのキャップとナイキのTシャツという、キューバ人の中では金持ちっぽい服装だった。

こういうスポーツブランドはキューバ人にしては結構高いので、彼の家はきっと、外国人相手の仕事(ホテル等)をしているとか、何かしら外貨収入のある家庭なのだろう。


ちなみに、キューバは共産主義の国なので、基本的に収入は低い。全国民は、配給として、1ヶ月200キューバペソ(約800円)もらえ、その他の職業でも平均月収は1500円位だ。それらを合わせて月給約2500円。
日本人と比較すると、かなり貧乏だ。

その一方、いい所もある。

結構知られている事かもしれないが、キューバでは病院代が無料、あと学校は大学まで無料。

しかも、日頃食べる食料(パン、チーズ、ハム、コーヒー、野菜等)は配給で配られる。

そのため、ほとんどホームレスもいない。

たまにいるホームレスは、家庭の事情で家にいれなくなった人らしい。

日用品も配給なのかはわからないが、街中ではよく、身分証明書を持ったおばさん連中が、大きな袋を持って配給所の前で列をなしている。


まあ話は飛んだが、そのリオと、早速バイクタクシーに乗り、球場近くの広場まで行くことにした。

着くなり驚いた!!

人、人、人…

大きな広場を埋め尽くすように、ざっと数えただけでも500人ほど若者が集まっていて、大音量のスピーカーの前で踊っている。

ま、祭りですか!?

レゲトンの音楽に合わせて、みんな思い思いのダンスを踊り、超ノリノリだ。

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まあ僕は踊れないので、リズムに合わせて体を揺らすくらいしか出来なかったが、みんなかなりうまくて(まあ、うまいのかどうなのかもわからないのだが)、それより何より、見ててホントに楽しそうだった。

リオに聞くと、このダンスパーティーはどうやら毎日あるらしい。

ま、毎日が祭りですか!?

結局その日は、二時間ほど雰囲気を楽しんだ後、すぐ帰ることにしたのだが、帰り際にリオが、「キューバ人にはダンスの血が流れているんだと思う」と言った事に納得。


それではまた!!
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